気まぐれなうつ

ゴダールの「女は女である」を観た。ストーリーの意味不明さをオシャレさでカバーした作品だと思った。遊び心と言えばそうなんだけどあまりにもやりたい放題の編集に疲れたし、キャラクターの動機も行動も全てが理解するには難しかった。ただ、街ゆく人のリアクションや主人公の歯磨きの適当さとか細かいところがツボに入って面白いとこは面白かった。

青山真治の追悼文で蓮實重彦が、ゴダールが映画制作における手法を一度破壊したことによって自由な作り手が増えたみたいなこと書いていたけど、この作品を見たら本当にそうだと思った。自由な作品が増えた一方で適当で何も心に響かないような映像も量産されてしまっているように感じた。映画じゃないけど今のYouTubeなんか見たら間違いなくそうだと思う。学生時代に映画を作ったことある自分の作品ももちろん人のことを言えたもんじゃないけど、今の世の中で本当に素晴らしい技術を持って作られたものとそうでないものの差がかけ離れすぎるという事実がくっきりしている。だから間違っているとかそういう話では決してない。

今日も10000歩散歩のために夕方に外出。用賀のスタンドSというお店で軽食をとった。アルバイトのお姉さんが常連のお客さんと就活について話していた。自分はメーカー志望だけど親が金融にいってほしいということを相談していた。ものすごく勝手な意見だけどメーカーを受けてほしいなと思った。自分の人生で親の人生でないし。けど僕は死ぬという親不孝は避けれたけど、無職と親不孝をしてしまっているし、だからと言って別にとても幸福ではないから、自分を幸福にできないならせめて親に心配をかけないことで少しは幸せを与えることはできるのかなとか考えてしまった。前述と類似するけどこれも正解のない話。

最近いろんな人と話すけど、不幸がデフォになってしまっている。生きていたら何かしら問題を抱えることはもちろんあるけど、余裕がないと身近な楽しさとかしあわせにも気がつけないというか。親世代と僕たち世代じゃ幸福の認識とか違うんだろうしなあ。正解なんてもちろんないし、自分なりの60点出せればそれでいいと思ってるけどそのマインドを持つのも結構HPいる。友人たちも次々と人生築いててふとした時にハッとする。